第一章
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| Magazine 出演魚。 | 熟女魚 |
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| 疑似鈎詐欺師。 | Koriyama City Fukushima Japan Yoshi .w | |
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戦後の高度成長期。村から町に、そして都会へと移り変わる世間の片隅に生きた男の「裏と表の人生模様」。ネオン街の暗闇にうごめく男と女。アダルトな世界を川面に移して、熟女魚と疑似鈎詐欺師との駆け引きをドキュメントタッチで綴ります。 本流に生き抜くスレッカラシ尺上山女魚をゲットするには、水中のアンダーゾーンに潜むターゲットを熟知しなければ、詐欺師の贈り物をそう易々と受け取る筈はない。 この物語りは全てフィクションです。 |
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| 第一章。 | 芳樹が育った桑野村と生家稼業。そして悪ガキ少年時代。 | ||||||||
![]() 開成小学5年生。 上段左から3人目 可愛い朋ちゃんも 一緒に修学旅行。 ![]() テキヤのガンちゃん 露天で稼ぎます。。 ![]() 村人の憩い。 旅芝居興行。 ![]() 初体験の麦畑。 |
1950年代。 終戦の廃荒から僅か二年後。渡 芳樹は養蚕の盛んな福島県桑折郡桑野村に五男坊として生まれた。生家は、味噌。醤油。マキ炭練炭から日用雑貨を商う萬屋だった。稼業柄、昭和二十五年頃には既にトラックを所有していた事から、旅芝居の移動や村祭りを渡り歩く香具師の屋台運搬も広く手掛けていた。 三十年代の娯楽と言えば、村々が開催する神社祭や桜祭り。盛大な盆踊りから旅芝居の廻り舞台等、今思えば懐かしくも楽しかった少年時代を思い起こします。 その時代。 各地で開催される祭り事を取り仕切るのが、手配師とか興行主と称される地元勢力を堅持する親分衆だった。もちろん広域的な団体は未だ少なく、少人数(10人前後)から地域を束ねる50人規模のヤクザ稼業が入り荒れていた。 東北の冬は長く厳しいが、十二月から三月の彼岸開け頃までは旅芝居や歌謡ショウーの興行も少なく、神社界隈の詣出客を当てこんだ出店で凌ぐ各地のテキヤ衆(香具師)が群れをなす。 4月になると、桜祭りが奥羽山脈と共に青森まで北上する。主に露天商いで稼ぐのは、親分から杯を受けて修行間も無い若い衆だ。使いっ走りから男のケジメと、子供の目から見ても現代版「フーテンの虎」のように決して気楽な稼業とは思えなかった。 商い物。 旬の飾り物や縁起物。綿菓子や焼きイカ等の下拵え。そして金魚すくいから射的場の段取りと、全て自分の責任で準備をする。もし、これらを怠ると、兄貴分から容赦の無い鉄拳が振り下ろされるのは言うまでも無い。そんな若衆に、近在の村から飛び出してきたテキヤのガン(岩雄21歳)ちゃんが居たのだった。六尺(1,8m)もある大男で、腕っ節だけは強かった。でも、私を一番可愛がってくれていた。 その親は、奥州桜一家の千代蔵親分。ガンちゃんは、私の家のトラック運転手も兼ねていたので、小学三年生頃からの私は、いつもくっついて助手席に座っていた。私が通っていた小学校は、家から一里程(4`)離れた開成小学校。その途中には、開成大神宮の森と畑ばかり、なんと!私は此処で初体験をしたのだ! 小学5年の春。ヒバリが囀る学校帰りの麦畑。そこで待っていたのは、芳樹が好き!と一言書いてラブレターをくれた六年生の明子ちゃんだった。とても美人とは見えなかったが、乳(オッパイ)も出張って(膨らみ)マセ(早熟)てた娘だった。私の周りには、肩で風切る若い衆ばかりだったので、男と女が何をするかぐらいは当然知っていた。 しかし、私は何んせヤッた事が無かったのだぁ〜。それも、そうだよね。学校指導教育が厳しかった30年代頃と、今の早熟小学生とは雲泥の差が有りますよね。その頃の私は、せいぜいスカートをめくるぐらいしか女の下半身を見たこと無かったのだから。 朋ちゃんは。 俺を誘うように畑の畦道から麦畑の畝に自分から入っていった。周りに人が居ないか気が気でなかったが、普段強がりを見せているから逃げる訳にも行かず後ろに着いて行きましたよ。ふかふかの麦の若葉に腰掛けると、其処は二人だけの世界。朋ちゃんはそっと口を突き出した。 そうなんです!口付け。接吻。キスを求められたんです。そんな事、俺だってできるわいと唇をしっかりむすんで押し付けました。二度。三度と繰り返すが、朋ちゃんは、目を閉じたまましっかりと抱きついている。 その時。 自分の下半身に異常が起こっている事に気がついた。股間のミニポコチンが、カチンカチンに勃起していたのだ。それからは無我夢中。スカートの中に手を入れて、パンツをズリ下げて覆い被さったのである...。 何処が穴だったのか。快感が有ったのか無かったのか?出したか、出さなかったのかは未だに定かでは有りません。まさに、蒼い想い出でした。 男って。不思議な生き物である。子供とは言え、一度未知の体験してしまうと大人になったような気分になり、男の本性を出してしまうんです。それからと言う物は、女とやりたくってしょうがない。学校帰りのいつもの畑、神社の森と、私の不純異性行為は限りなく続く有様でした。 |
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![]() 中学時代。 ![]() 盆踊り。 盆踊りの楽しみは 酒や御祝儀だけでは 無く、若い衆にとって は太鼓をたたくのも楽 しみだったのである。 ![]() 郡山の繁華街は 堂前町を中心に飲み 屋街が集中していた。
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中学時代。 私が通った中学校は、家から更に遠い郡山一中だった。通学は、もちろん徒歩である。いつしか、私の周りには親衛隊数人が纏わり着いていた。もちろん、その頃には小学校で味わった青臭い真似事は卒業していたが、今度は男の戦いが待っていたのである。 中学に入ると、上級生に番長を名乗るヤカラが数名居たのである。生意気だった私が、最初に目をつけられて袋叩きにされました。それに怒ったのが、テキヤのガンちゃんだった。もうその頃には、使い走りのゲンちゃんでは無かった。肩越しに墨を入れたいっぱしのヤクザだったから堪らない。番長頭を呼びつけて、しっかりとお仕置きをしたのは言うまでも有りません。 所がである。 その中に、敵対する極東連合の息子が居たのだ。当然、そこの若いモンがゲンちゃんを狙った。数日後、とうとう飲み屋街でケンかになってしまった。二人組みが、ヤッパ(短刀)を突きつけて落とし前を迫った。其処で、怯むゲンちゃんではない。顔と肩を数箇所切られはしたが、二人をビール瓶で殴り倒し半殺しにしてしまったのである。その後争いは続くかに見えたが、子供のケンカが元だと言う事で和田組の親分に仲裁されて事無きを得た。と言っても、ガンちゃんの小指の一部はケジメの証を現していた。 女の匂い。 中学生になると、女の扱いは既に大人顔負けの腕になっていた。中学の年代になると、女も色気が出てきて私を狂わせるのだから仕方が無い。ある日、同級生と体育館の中で事に及んでいた時、運悪く先生に踏み込まれてしまった。こんな不良を、学校に置いてけないと親も呼ばれて厳しい指導。 家の親父もハンパじゃなかった。自分の仕出かしたケンカのせいで、若衆に傷をつけたのだから仕方ないのだが、悪ふざけをする度にぶん殴られて家には戻れなかった。 決闘。 その騒動も治まらない内に、小原田中学の番長組と木刀持って果し合い。それからと言う物は、何時も監視つきになってしまいました。しかし、私は知っている。その先生は、大酒飲みで花札博打が大好きだった。私自身自慢じゃないが、ケンカと女遊びは数有れど、カツアゲや弱い者イジメは一度もした事が有りません。 余談になるが、この小原田中学には同じ年代の「釣りバカ日誌」でお馴染みの西田敏行さんが居た。当時面識は無かったと思うが、30数年後に釣りバカ日誌で共演している中本賢さんと私が共演するとは、不思議な縁が続いていたのかも知れないね。 東北のシカゴ。 30年代の郡山は、東北のシカゴとまで言われる程ヤクザが多かった。私の家(萬屋)にも、夕方となれば遊び人がタムロしていたのである。何故なら、村には珍しいテレビがあったのだ。力道山のプロレスや、ボクシング世界チャンピオンのパスカルペレスのタイトルマッチが中継される時など、屋内に入りきれない程の拝聴者が来るのである。其処でやるのもは、おでんを売りながら博打場を開帳。この時代の主な賭博は、花札とチンコロ(茶碗の中で転がすサイコロ)賭博が多かった。 よそ者とのイザコザも度々起こり、道端で殴りあいとなり助っ人が各地から飛んでくる。そんな事から、納屋には木刀や長ドス(日本刀)がいつも隠されていた。 盆踊り。 毎年、盆踊りが始まり秋祭りになると、村の青年団から若衆まで意気上がる季節になる。それは、村祭りの楽しみがあるからである。現代のように、出逢いサイトなんて夢にも考えられない世では、随一の楽しみが待ちに待った一大祭事なのだ。何故なら、男と女の出会いの場は、秋祭りを逃してそう有るものでは無かったからだです。先日HNK特集かなんかで、中国雲南省の村祭りで出逢う男女の模様を放送していたのを見て、ふと戦後間もない日本の村風景を思い出してしまいました。 襲撃。 又しても所がである。此処までは、何処の村にもある楽しみごとなのだが、桑野衆(桑野青年団)が来る事を知れば、大変な出来事に発展してしまうのだ。ゴロツキが多い桑野からの集団は、オート三輪車に分乗して乗り込んで行く。その目当ては、酒や御祝儀だけではない。村の娘を、獲物にするのである。時には、集団で攫って来る始末。これらの無謀に怒った村の青年団が、凶器を隠して戦いを挑んでくる事さえありました。 つづく!!! ある時。 村の衆に不意打ちを喰らったために、総崩れで逃げ帰ってきた事もあったっけ。こんな話をしていると、七人の侍のような時代錯覚をするかも知れないが、昭和30年代末期頃まであった実話なのですよ。 |
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それじゃ。今宵は、此処までのお話とさせて頂きます。次回をお楽しみに!