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 郡山夜遊びナイト

 
Magazine 出演魚。 熟女魚 尺上山女魚。   川芸者 産卵ウグイ。   マブ魚 婚姻色オイカワ
疑似鈎詐欺師。 Koriyama City Fukushima Japan Yoshi .w
熟女魚物語り。
十章あらすじ。
■ 1985年。スポーツフィッシングのブームが到来。ルアー&フライフィッシャーが爆発的に増加する。
■ 山岳渓流から里川本流にターゲット変更。日本のリバーフィッシングスタイルを変えた日。
■ 
物語前編総集Prologveこの物語りは全てフィクションです。
第一章。 第二章。 第三章。 第四章。 第五章。 第六章 第七章。 第八章 第九章 第10章 第11章 第12章 第13章 第14章 第15章

 第十章。 <熟女魚を騙す色事師.日本のフィッシングスタイルを変える!>



<TROUT FIELD CHANGE>

1983年頃源流釣行
ルアー(擬餌鉤)でイワナを釣るとなると、早春の山上湖か山岳渓流が狩場(ヒットゾーン)だった。その頃の若輩詐欺師(著者)は、未だ々駆け出しであり正直者でしたよ。その為か、一目でポイントが判断できる渓流釣りが大好きだった。
回転ブレードを鋏で切りスピナールアーをよく作ったモンでございます。
釣行場所は、新潟県津川町近くの前川渓谷源流だった。30mザイルを肩から提げて、ルアーロッドは腰ベルト。断崖の草木につかまりながらヘズって行く。あの頃の流れには、大きなイワナが悠然と泳いでいた事を今でも夢見ます。
私がもっとも得意としていたのは、新潟県境にある銀山湖と田子倉湖の大イワナを釣り上げる事だった。


一昔前までの解禁は3月1日。田子倉湖までの国道は、5mもの残雪で封鎖。
ダム事務所前から急斜面を約一時間ほど費やして、吹き溜まりの雪上をよじ登って釣行した。
6,6Fベイトタックルに8£ライン100yd。山上湖のトラウト
持参するスプーンルアーは、いつも12gのダムサイトと相場が決まっていた。


山上湖である田子倉湖には、50cm超のサクラマスや大イワナが生息。
当時では、同じワンドで連続ヒットは当たり前の世界だった。
解禁日からの、一ヶ月間。(水位が上昇する迄)AM:5:00前に車止めを出発して、約50m下の湖面まで降下する。釣行装備は、軽登山靴にスパッツ。ザックの中に防寒着と非常食。カットバン(岩場による指損傷)とビニール袋(魚入れ)を詰め込んで、一日がかりのトレックキャスト(湖岸帯を歩きながらトラウトの着き場を狙う)。
そんな釣行が、週に二回は決行したもんだ。

85年頃。何社もの釣り雑誌に原稿を入稿して、写真も自らが撮影していた。一時は、6社の雑誌社と一般週刊誌にまで依頼されていたから、素人ながらも休日に留まらず取材活動。シーズンには、毎月のように掲載されていた。
その為か、イヤガラセも結構多かった。掲載された発売日には、日に50回を越す脅迫(ナジリ)電話。
お客様の会社にタレコミ(勤務時間中にFFキャストの練習しているとか)電話。等など。何故なら、商売(釣具店)
をしながら幾誌もの取材をしているから、おのずから宣伝効果が上がり知名度も上昇してしまうからである。
もっとも、本人はそんな事など全く気にせず(相手は名乗れ無い哀れな人だから)、趣味として又は価値ある一枚の写真
が欲しくて、商売そっちのけで飛び回っていたのである。
早春の山上湖
<スポーツフィッシングと叫ばれて(1975)から十数年。>
大物を獲止めるルアーフィッシングから、ファッションセンスも憧れるスローリズムな遊びの釣り技フライフィッシングが大流行。
気が付けば、いつしかフライフィッシャーの入門者が断然多くなっていた。




<夢にまで見たパラダイス>

謎の大山女魚釣り師。
山岡さんと意気投合してからは、釣りと巷の情報交換する仲になっていた。山女魚フィールド
釣り情報は分かるが、巷の情報とは何ぞや!と思う野暮な方もいるが「釣って釣られて色情け」とでも言いますか、生き物全てが相対するものに対して色彩で生理をアピールするでしょう。ましてや、マヤカシ物で誘惑しようとするなんて、擬餌鉤釣り師はロクなモンじゃない!真面目な人は、ちゃんと餌を付けてますよね。え!何ですって。鈎を隠しているだけで、卑怯者だって。あう言えば、こう言う。釣り師は皆、口応えが好きな親分なんです!自分が一番と思っていますからね。そんな天邪鬼共を、一撃でギャフンとさせるには誰もが羨むビッグなトラウトを何匹も抱きしめる事なのです。

確かなポイント情報でも、時間差が出てしまうと全くフィールド状況が異なってしまう。
福島県南会津に位置する大川(阿賀川)も、尺上山女魚フィッシングのベストポイントだった。栃木県境から流れ出して、会津盆地を突き抜け日本海に流下する大河川でもある。最新(1985年)の情報では、大川ダム下流域が活発ですとの情報を得て直ぐに釣行。しかし、3回ともターゲットの姿を確認することも無く失敗(30cm以下はヒットに有らず)した。どうして俺が行くと、山女魚が逃げるのか。と聞いたら、大山女魚はその日の天候と時間によって、散歩道(狩場)を変えるんです。何だそりゃ!!日の出前。午前と午後の暗部(影)。曇りの日。雨の日。風(川風)の日。水量。濁り.......言い出したら、留まる事の知らない弁士の山岡さん。餌となる小魚は、朝しか浅瀬で遊び(産卵クルージング)ませんから。と、来たもんだ。
要約しますと。この年に産卵する山女魚は、一日中捕食活動をしているのではなく朝マズメの時間帯が一番活発に小魚を追廻している。陽が川面に差し込んでからは、小魚の群れが散ってしまうのでヒット確立が低下する。雨上がりには、山女魚がハシャグ(水面浮上)のでスプーンドライ(見てアワせる)でヒットする。トンビが飛ぶと山女魚が隠れる。等など。考え出したら霧がアリマセンでした。これらを一つずつ実証する事になりましたが、極意を習得するまでに更に5年を要する事となりました。




<本流釣りの夜明け>
これが本流魚だ。
1987年。
本流の大山女魚に魅せられて、シーズンを迎える度に夢中になり嵌り込んでいった。
この頃には、あんなに好きだった尾根越えのハードな山岳渓流釣行には見向きもせずに、ひたすらグラマラスな魚体を求めて本流域に通い詰めていたのである。

詐欺師のライフスタイルは、一応月曜日が休日だったから必ず釣行。
解禁から、5月の連休まで(ワカサギ産卵遡上と水位の関係)は、田子倉湖と銀山湖に向かう。5月中旬から6月上旬までは、本流域(大川や只見川)で大イワナを狙う。そして初夏から鮎解禁前日までは、月曜日は勿論水曜日。金曜日と、里川の本流に出向くようになっていた。土曜の夜は、陣屋通り(パブ街)に出勤でしたから!

平日の釣行日は、前の晩仕事か終わってから夜半に出向き車中で仮眠。
日の出前から、AM:8時(3時間半)までキャストして10時の開店に合せていたのだ。本流が活性期になるのは、ほんの一ヶ月足らず
だから連続ヒットする時期に集中攻撃。各誌面に掲載するとなると、タックルを変えウエアも毎回着替えて、各誌に掲載する魚体をでき
るだけ多くキャッチ(ヒット撮影)しなければなりません。(ヒットするのはフレッシュ山女魚を証明)
文章では、数多くのヒットアクセスを紹介するのだが、クレームが必ず帰ってきた。そんなに、尺山女魚が連続する筈が無いと。
何故って、その頃は尺上山女魚が毎回二桁ヒットすると言っても、誰も信用してくれなかった。実は、ある約束があり写真はでき
るだけ掲載しない事にしていたのです。
その約束とは、私にこの世界を伝授した山岡さんとの間に、向う3年間は口外しない!と言う約束が存在したからです。


<Fly Fishing>こんな山女魚が生息していたとは!
右のヒット写真は、初めてフライロッドを手にしたフィッシャーだ。キャストもできないフライマンが、どうしてヒットさせたのかとお思いでしょう!それが可能なのです。先ず、15mほどラインを引き出してバックの河原にリーダーそしてフライを真っ直ぐに伸ばしてして地面にセット。そして水面に向かってキャストするだけでした。そのフライに飛び付いたんですから、魚影の濃さはお察しできると思います。今は、時既に遅し昔の夢と化してます。
<Lure Fishing>
あの頃は、ハスルアー(写真)5gが抜群でしたねぇ〜。
もっとも、何をキャストしてもヒットしましたけど。このとき使用していたのは、フェンウェックの5F渓流用グラスロットだった。ヒットすると、ロッドはグリップからひん曲がってしまいました。ライトアクションのスピニングロッドも有りましたが、湖用ロッドなので4ポンドラインに5gのスプーンルアーで、何百回もキャストしていたら疲れてしまいますよ。その頃、本流ターゲットにマッチするルアータックルも余り無かったような気もするけど。


<拘り嗜好>
■詐欺師が狙う相手は、飽くまでも体長31cmから尺5寸(45cm)のグラマー(体高10cm以上)な女王様だった。
そして女王様と絡み合っている内に、彼女達のパターン(習性が)が少しずつ判明してきたのだ。水温。水質。小魚の動性。
集団捕食の実態など、徐々にその生態系がアカラサマニなってきたのだ。。






<輸入釣具メーカーの企み。>
桧枝岐毛ばり
日本の、イワナ&山女魚釣りスタイルには、狭い渓流から考え出された提灯餌釣り仕掛けと、ゼンマイ胴にチャボの羽毛を巻いたテンカラ毛鉤が主だった。勿論、食するために魚釣りをするのだから、手っ取り早く効率のいい狙い方でもあった。
ところが、スポーツフィッシングと横文字に変わると、マナーとかゲームだとか命の大切だとか、気難しいルールが生じるのだった。もっとも、そんな事が格好良く見えてしまったに違いない。



新しいフィッシングスタイルが、流行って来たのはいい事なのだが先行きの悩みもあった。
フライフィッシングは、ある程度バックスペースが欲しい釣り方ゆえ、日本の渓流釣り場では少々難儀だったのだ。
その証拠に、FF入門したものの釣れない釣り師が、ワンサカ増えてしまった。ルアー&フライキャスティングエリア
このままでは、舶来のタックルで釣るスポーツは、一時のブームで終わってしまい兼ねないと真剣に考えていた。この頃から、各メーカーでは日本のフィールドにマッチさせた「Uライトアクション6Fルアーロッド。」ショートFFロッド「7F〜8F」に、軽めのラインシステム「#3&4」を次々と登場させてきた。
1985年。Akifishingでは、FFのマナー及びCASTINGのレベルアップを目指そうと東北で初めて野池を借りてFF教室が始まった。

<フィッシングスタイルの転機>
大手メーカーのセールスだった大森さん。
この方は、セールスが仕事で福島に来るのか遊びが目的なのか、凄く怪しげな人。こうなったのは、私のせいかも知れなかった。ある日。40cm近い山女魚の写真を何気なく見せてしまった。黙って見つめながら、コレ何処!教えて!
そんな簡単に、教える訳には参りません。だって、自分が未だ確実にゲットするコツを習得していなかったからである。

毎月の巡回日がやってくる。
普通なら、今日わぁ〜!ティ○○です。と入ってくるのだが。こっそり近づき、今日こそ返事して頂きますよ!と、耳元で囁く。此れではまるで、借金取りに狙われているようにも思えてくる。そんな漫才的出入りをしている内に、実は、最近売れないタックルが目立ってきて困っているんですよ。と相談に来た。
売れ筋の商品とは、ルアーロッドなら渓流用か湖専用。フライロッドの場合でも、7F〜8Fの渓流タックルと湖用の9F#8&#9番タックルだった。その間には、海外で多用されている8F#5/6.9F#6/7番タックルが存在した。しかし、ワイルドな河川環境の欧米では主流タックルでも、日本のスモールフィールドでは管理釣り場(当時は少なかった)以外、無用の長物だったのかも知れない。
さて果て、売れないタックルをどうするかが問題になってきたのだ。

社内の上層部とも協議したのですが、WATANABEさんの本流釣りスタイルを何とか市場に活かせないかと思いまして。と、申し出てきた。確かに、狭い渓流なら10m以内のキャストで間に合うし、湖と言っても芦ノ湖周辺湖沼か入梅までの中禅寺湖ぐらいしかFFフィールドは存在しなかった(北海道を除いて)のである。

それじゃ!! 次回を、おっ楽しみに!

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